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2010年9月23日木曜日

Christopher Lee and Peter Cushing and Horror Cinema

Christopher Lee and Peter Cushing and Horror Cinema: A Filmography of Their 22 Collaborations

今、同人漫画の絵コンテ修正をしているのですが、ちょっと行き詰まりを感じてへろへろになっていたところ、ふと拾い読みしたピーター・カッシングとクリストファー・リー共演作品の解説本、"Christopher Lee and Peter Cushing and Horror Cinema: A Filmography of Their 22 Collaborations"にあったエピソードでちょっと生き返ったので、ご紹介します。

『怪奇!血のしたたる家』(The House That Dripped Blood (1970))の監督、ピーター・ダッフェルの話なのですが・・・先日感想を書きましたが、この作品はホラーのオムニバスで、カッシングが出ている第二話は蝋人形の話です。で、その中に、主人公がうたた寝をして悪夢を見るシーンがあります。道具立てはチープなものの、夢のシーンなので幻想的で、とても印象的なシーンなのですが・・・じつはこのシーンは脚本にはなくて、監督が主人公の強迫観念を強調したいと思い、撮影が始まってから夜に自宅で考えて、翌日スケジュールにムリヤリねじ込んで、半日で撮影したというシーンだったんだそうです。(実物を見ないとなにがなんだかわからない話になっちゃいますね…スイマセン)

スモークの焚かれた蝋人形館の中を、主人公が手探りしながらスローモーションで歩き回る…という、今の目で見ると「いかにも」で、少し笑えるくらいのシーンであります。ですが、本の解説を読むと、これがこのあとの主人公の行動に説得力を持たせている、ということなんです。そう意識して見直して、「もしこれがなかったら…」と考えてみたらホントに大違いで、思わず唸ってしまいました。低予算映画なので画面のチープさにどうしても目が行ってしまってたのですが、この「主人公の強迫観念」を台詞なしのシーンに構成して見せてしまう、というのは、すごく「映画してる」感じがします。(一番お手軽なのは会話に説明を盛り込んでしまうことですが、それでは情報が伝わるだけであって、受け手の感覚には響かないですよね)

このエピソードの中で一番印象的だったシーンが、そんなふうに撮られたものだったなんて、衝撃でした。同時に、ものを作るプロセスってこういうことなんだな、と納得がいった感じで。「それまで存在してなかった思いつき」を殺さないで、実行してみることって大事だと。うまくいけばそのままいけるし、うまくいかないな、とわかれば削ればいい。その繰り返しなんだと。とにかく頭の中から出してやらないと。…我田引水ですが、いったんまとめてから新しい要素を思いついて崩してしまう、を繰り返している自分のプロセスも無駄じゃないかもしれないぞ…?と思えてきました。なにより今欲しかった励ましです。勘違いだってなんだっていい。とにかく、何事も「こんなこと虚しい」と思ってしまったら先へ進めません・・・いいタイミングで助けられました。自分がそういう状態で読んだから、こんなふうに感じるのでしょうね。

もう一つは、『ミイラの幽霊』(The Mummy (1959))のエピソード。『ハムナプトラ』の原型みたいな話で、カッシングがエジプト研究家を、クリストファー・リーが蘇ったミイラを演じました。(でもこれ自体もボリス・カーロフの映画のリメイクらしいんですが)エジプトのミイラが蘇って人を襲う・・・なんてとこからして、もうB級臭さプンプンなのですが・・・案の定、カッシングの妻役で出演したイボンヌ・フルノー「どうせ二級の作品」と高をくくって出たんだそうです。ところが、です。カッシングやリーが真剣に役を掘り下げているのを見て、見方を変えなくちゃ、と取り組み方が変化したんだそうです。
決して、イマドキのノリによくある「バカらしい行為にあえてエネルギーを注ぐ」っていうんじゃなくて、「キャラクターの心理や物語の流れに少しでも説得力を増すための工夫を、制約された中で真剣にやる」ということです。(真剣といってもガチガチした雰囲気じゃなくて、休憩時間他愛無いいたずらに興じたりしてるので微笑ましいんですけど(笑))
たしかにできあがった作品のストーリーはB級なのですが、妙な説得力というか、演技に密度があって、引き込まれるところがあるんですよね。

カッシングの出演作品はほとんどそんなのばっかり(^ ^;)なんですが、なんというか、さきほどの『・・・血のしたたる家』の監督の話といい・・・背筋を伸ばされる感じがしました。どんなジャンルでも、作り手が「どうせこの程度」と白けていたら、ホントにどうしようもない。今できることを探してベストを尽くすこと。これに尽きるんだな…。言葉のうえでは耳タコなことなので、別の状況で読んだらなんとも思わないはずの、ありふれたエピソードですけど。自分の状態によって受け取り方が変わるもんだな…と、つくづく。欠けているものにばかり目が行って落ち込みやすい自分には、このタイミングで読めたことが大事。がんばろう・・・。