イベント参加予定

引っ越し中です

☆最新記事とは別に、SSブログより古い記事からひとつずつ引っ越し中です。(日付は元記事のものです)

最新の投稿について

☆サイドバーに「最新の投稿(過去記事転載を含む)」を表示しています。

2011年2月20日日曜日

『赤い風車』(1952)

 ピーター・カッシングの初期の出演作で、タイトルだけ覚えていました。近所のレンタル屋に無く、ワンコインDVDにはなっていたのですが、ワンコインのほうの画質が酷評を受けていて、そのうえ脇役だし買うまでもないかな…と見逃していたもの。最近再入会した、品揃えのいいレンタル屋さんで見つけたので借りました。しかもワンコインではないバージョンのがあったので、良い画質で見ることができました。クリストファー・リーもちょい役ですが出ていました。

…まず、「赤い風車」ってなんのこっちゃと思ってたんですが、ムーラン・ルージュのことだったんですね。パリに実在するお店(なんていうんだろう…ウィキペディアでは「キャバレー」と書いてあるんですが、ニッポンジンの自分が想像するキャバレーとはまるで別物。(笑)お酒を飲みながら踊りを見たりするんですが、酒場じゃなくて劇場みたいな規模です)で、そこの常連だった画家・ロートレックの伝記映画でした。監督はジョン・フォード。ストーリーよりも、踊り子さんたちのメイクや衣装、全体の色使いなど、ロートレックの絵がそのまま動き出したような映像が見ものでした。しかしカンカンてあんなに嬌声をあげながら踊るものだったんですね。これまでに見た映画よりうるさかったです。(笑)

驚いたのが、主役のロートレックを演じていたのがホセ・ファーラーだったこと!最近立て続けに大作の悪役で見ていた人でした(『偉大な生涯の物語』のヘロデ・アンティパス、『アラビアのロレンス』のトルコの変態将軍(笑))
ロートレックのときは髭とめがねでほとんど顔がわかりませんが、二役でロートレックの父親役もやっていて、こちらだとよくわかりました。

カッシングは「誰もが憧れるような美男の金持ち」役。(笑)ロートレックとなんとなく両想いになるデザイナーの女性が出てくるんですが、その彼女にアプローチしている、ライバル的な位置のキャラクターです。ですが、別にロートレックを意識するでもなく、ロートレック自身がひねくれているために女性が離れていき、どっちかというと当てつけ的に結婚する相手です。本当は愛されていないのを承知のうえで結婚するという、恵まれた容姿のわりに傲慢さのかけらもない、殊勝な人でした。(笑)

出番は1シーンだけでほんのちょっとですが、競馬場でグレーの正装をしていて、ほんとに品のいい美男の紳士でした。(『マイ・フェア・レディー』でのジェレミー・ブレットが、やはり競馬場で同じような扮装をしていたのをちらりと思い出しました)巻き戻して数回見てしまいました。目の保養です。(笑)
よく聞き分けられないので確信はありませんが、フランス訛っぽい英語で話しているように感じました。(キャラはみんなフランス人の設定ですが、英語の映画ですから)

じつはそのシーンにいくまでに、「カッシング丈はどこに出てくるんだ」と目を皿のようにしていたので、「それっぽい人」を背景に二人ほど見つけていたのですが…ちゃんと役がついてるのにカメオ出演をするはずもないですね(笑)。自分の願望による見間違いだと思われます。

クリストファー・リーは、カフェにたむろしている芸術家仲間の一人をやってましたが、髭つきでオシャレ…というか、かっこよかったです!台詞もありましたし。

ニコール・キッドマンユアン・マクレガーが出ていた『ムーラン・ルージュ』でも、たしか強烈なルックスの、ムーラン・ルージュの支配人が出てきましたが、この映画に出てくる支配人も顔つきが似通っていて、オヤと思いました。実際ああいう感じの顔の人だったんでしょうか。
ただ、主役のロートレックは「あんまり似てない」と思いました。昔見た写真のイメージしかなくて、なんか「リンゴ・スターそっくり」と思った記憶があるのですが、そのイメージとはだいぶ違ったので…。(思い違いだったらすみません。>リンゴ・スター(^ ^;))

ロートレックは子供の頃のけがで足の成長が止まったため、上半身とはアンバランスに下半身が短く、その外見のコンプレックスや女性との軋轢、飲酒癖…と悲劇的な生涯に描かれています。こういう、よくある「芸術家破滅物語」は正直あまり好きじゃないんですが…(自分も下手ながら絵を描くことや創作することに足を突っ込んではいるので、「そういうことをする者は不幸になる」なんてイメージを、ステレオタイプとして刷り込みたくないんです)…死の床で昔のムーラン・ルージュの踊り子たちを幻想するあたりは、手もなく泣かされてしまいました。ああ、我ながらふがいない。(笑)

作中では、ロートレックが描いた有名なムーラン・ルージュのポスターに描かれている鷲鼻の男性が出てきました。みるからに特殊メイクなんですが、ほんとに「絵から抜け出てきたよう」に撮っていますね。やはりそのへんが売りだったようです。

2011年2月9日水曜日

『残酷の沼』(1967)

 

残酷の沼 [DVD]

(今回もリアルタイム記事です。というか、2010年の過去の記事はほぼ使い切ったので、それ以前まで遡るかどうか思案中です…でも、また来月あたりニューリリースがあったりするんですよね♪それはまた別の話…)

ピーター・カッシングのフィルモグラフィーにあった作品ですが、ご縁がなくて見られなかったもの。最近再入会したレンタル屋さんにあったので借りてきました。アミカス・プロダクション制作のオムニバス・ホラーです。監督はビジュアル重視のフレディ・フランシス。原作・脚本は『サイコ』ロバート・ブロックです。

アミカス・プロのオムニバス・ホラーは、昔テレビでよく放映されていたそうで、レビューとか拝見しているとそういう思い出話がよく出てくるのですが、自分はそういう思い出はありません。カッシングにはまり直してから漁っているクチですので、すべてDVDが初見です。でも、何本か見てみると、なんとなくアミカス作品の個性がわかってきますね。嫌いじゃないです。(笑)

今回の舞台は恐怖が売り物の見せ物小屋。オプションサービス(?)にお金を払った客たちが、自分自身が将来陥る…かもしれない、恐ろしい未来を見せつけられます。客ごとに一つのエピソードになっていて、計四本のエピソード。みんな超自然的落ちで、ホラーというより『世にも奇妙な物語』という感じ。仕方ないことですが、今の目で見ると正直怖さより苦笑が出ます。まあそれを言うのは野暮ですね。(^ ^;)

カッシング以外のキャストで私にわかるのは、見せ物小屋の案内人「ドクター・ディアブロ」役のバージェス・メレディス(私にとっては、『ラブリー・オールドメン』でのジャック・レモンのお父さんのイメージです(笑))客の一人をやったジャック・パランス(この方は『バグダッド・カフェ』の画家のイメージが頭に浮かびます)くらいでした。ピーター・カッシングはジャック・パランスのエピソードに出てくる、祖父の代から続くエドガー・アラン・ポー関連品収集家役でした。名優二人のお見事な競演。エピソードの冒頭をのぞくと、ほぼ二人芝居でした。

パランスのキャラは、カッシング演じる大コレクターと、エドガー・アラン・ポーのファンの集まりで知り合います。カッシングのコレクションに激しく惹かれるんですが…当然ながら売ってくれないんですね(笑)。このへんで一瞬、微妙な緊張感が生まれます。パランスの手から本を取り返すときの、カッシングのかすかな間の取り方…さすがにうまいですね。こういう細かいところが。

ジャック・パランスの粗野な容姿と、いかにもアメリカ人的(?)な…ストレートに売ってくれとか言ってしまうところ…すごく極端に言うと、「金でなんでも手に入れられる」と思ってそうな成金ぽい感じとか、コレクションに心を奪われてわかりやすく目をギラギラさせちゃう田舎モノっぽさと、それをちょっと見下しているような紳士然としたカッシングとの温度差…台詞でほのめかされるわけではないので、純粋に俳優さんの演技によるものですね。こんな話なのに(笑)贅沢です。

パランスはその後、カッシングの自宅を訪ねます。カッシングにどんどん酒を飲ませてコレクションを見せてもらい…(酔わせてどうするつもりぃ~?♪とか虚しい野次を飛ばすバカな腐女子がここに(笑))…ついには地下室にある秘密のコレクションを見せてもらうのですが…。

このオチはもう、今の目で見たら反則というか(笑)、「おいおい」って感じなんですが、ある意味究極のコレクションかもしれません。ラストのパランスのリアクションは、個人的にはちょっと理解しがたかったのですが…うーん、これは見る人によるでしょう。

映画全体のオチはちょっとひねりもあって、うまくまとまってます。パランスはちょっとおいしい役でした。カッシング鑑賞の点でも、感情の起伏の幅が大きく、年代的にも美しい(自分好みの(^ ^;))時期なので、わりと堪能できましたです♪
映画としても…これに限らずアミカス作品て、美術とかチープなんですけど、なんか手仕事特有の密度が画面に感じられて、イマドキの作品にはない魅力があります。

ただ、「残酷の沼」という邦題は謎。「沼」はどこにも出てきませんでした。言葉としても、映像としても。原題は"Torture Garden"。直訳すると拷問の庭、ですよね。これは心理的拷問という意味で文字通りなんですが…どこから沼がきちゃったんだろう?謎です…。

2011年2月2日水曜日

『The Return of Sherlock Holmes: 1』

 

The Return of Sherlock Holmes: 1リアルタイムの記事です。ピーター・カッシングによる「新発売」のシャーロック・ホームズ朗読CD『The Return of Sherlock Holmes: 1 』、Amazonでは2/7発売と告知されてたのですが、予定より五日ほど早く、今日届きました。とりあえず速報の感想を!

ジャケットにはハマー・プロダクション制作の『バスカヴィル家の犬』でのホームズ姿のカッシング。おなじみのディアストーカーをかぶり、ビッグ・ベンをバックに合成されてます。ステキです♪(読まれているエピソードの姿ではないのは残念ですが、ないものねだりですモンね(^ ^;))

裏側の説明を読んでみますと、1971年に録音されたもののデジタル・リマスターで、なんと商業的に発売されるのは初めてだそうです。となると、ラジオ用かなんかの録音だったのでしょうか。(中のスリーブをまだ読んでないので、そっちにかかれているかもしれませんが)正真正銘の「新商品」ですね!前に自伝の朗読CDを出したのと同じレーベルのようで、そちらの広告もちらりと。そういえばジャケットデザインのセンスがなんとなく似てるなー、と思ってました♪

CDは4枚組。短編集『シャーロック・ホームズの帰還』の最初の四つの話…『空き家の冒険』『ノーウッドの建築士』『踊る人形』『美しき自転車乗り』…が、一枚に一話ずつ収録されています。
我慢できず、最初の『空家の冒険』を聴いてみました。三年間死んだと思われていたシャーロック・ホームズがロンドンに帰り、ワトスンと再び共同生活を始めるまでの話です。
(自分はホームズファンなのですが、個人的にはこの話が日本語で読んだ初めてのホームズで、これで転んだようなものなので、記念すべきエピソードでありマス。…ホームズとの初対面は英語の授業で読まされた『赤毛連盟』だったので、その時は残念ながら魅力を感じる余裕はありませんでした…(^^;))

…まず感じたのは、奇妙にも「え、これピーター・カッシングの声?」ということでした。なんかいつもより低く聴こえて。…で、聴いていくうちに合点がいきました。これはワトスンを演じている声なんですね。シャーロック・ホームズの物語は、ホームズの親友ワトスンが一人称で語る形式なのです。そのため、地の文はすべて「ワトスンの声」で読まれているのでした。ホームズの台詞になったら、いつもどおりのピーター・カッシング…というか、ホームズを演じるピーター・カッシングのトーンでした。なるほどなー…♪

英語の聞き取りなど無理なので、kindleに入れていた無料テキストで原文を追いつつ聴きました。省略はなく、本文すべてが読まれていました。当然ですがキャラが変わると声色が変わって…ホームズは最初変装をしているので、そこでも面白い声を出すのですが…一人芝居というか、表情豊かに読まれていて引き込まれます。台詞の部分だけでなく、地の文もワトスンの一人称なのが、すごく活きてます!ああ、耳で聴いただけで意味が全部つかめたらなあ!

じつは先日から、ハマー版とBBC版のカッシングのホームズをちょくちょく見返しているので、ホームズのときの声は「耳慣れた」感じ、ワトスンの声は、「カッシングがワトスンを演じるとこんな感じなのかー♪」という感じで…しかも、私見ではルックス最盛期(笑)の1971年の声。いろんな意味で萌えまくりです。(笑)こんな音源が聴けるなんて、シアワセ…他のも早く聴かなくちゃです♪しかもこれ、「Volume 1」…ということは、もしかしてこの短編集すべての朗読音源がこれから発売されるのでしょうか。嬉しすぎてめまいがします…。(笑)

2011年1月19日水曜日

そーだったのかスターウォーズ! ~偉大なモフ・ターキン(笑)~

 (昨年夏にテレビでのシリーズ連続放映を見たときの感想です)

スターウォーズ連続放映、昨夜はエピソード4を見ました♪美人すぎるじいさまを堪能… ああ、美しいモフ・ターキン!こんなにちょこちょこと出番あったんだね…。レイア姫に会うところと、最後のところくらいしか印象に残ってなかったですよ。

そしてそして、会議のシーンに加わっていた一人が、『ブラッディ/ドクター・ローレンスの悲劇』でカッシングの息子をやってた方なのを発見しました!そーかあ…。
今さらながら、ラストクレジットの出方を見ると、バリバリのラスボスだったんだなあ…と感慨が。(しかしいつのまにベイダーより立場が上になったんだ?エピソード3の最後で顔を出したときは側近ぽい雰囲気だったのに、今じゃ顎で使ってるぞ?(笑))
ともあれ、「Peter Cushing」と画面に一行扱いで出たときには、感激してしまいました。本編が終わったあとにNHKがくっつけてる写真つきのキャスト紹介にも、ちゃんと出てきたのが嬉しかった♪(やっぱあの人差し指をたてるポーズなんだな、ターキンは。でなきゃ自分の唇をさわってる横顔、ですよね♪)

たしかカッシングの自伝では、ターキンが一作目で死んでしまって、続編に出られなかったことを嘆いておられましたですよ。べつにキャラに愛着があるからじゃなくて、役者は食ってかなきゃならないから」
キャラについてはあんまりよくわかってなかったそうで、たしかクリストファー・リーのインタビューで、「(カッシングに)グランド・モフってなんなんだ?と聞いたら『私にもサッパリだ』と言われた」という話がありました。そんなもんなんでしょうね。(笑)デス・スターについては、冗談らしく別の名前のほうがいいという案を書いておられました。何語だかわからないので意味がわかりませんが。フランス語かな?とにかく「…むしろこのほうがいいと思ったけど、聞かれなかったから言わなかったヨ」ということでした。(笑)
撮影時のターキンの足元がスリッパだったことは前に書きましたね。そう思うと、ほんと見ていて頬がゆるみます。

…そういえば、少し前に「なぜグランド・モフが肩書きじゃなくて、モフ・ターキンで姓名とインプットしていたのか?」の謎が解けました。ブックオフで中古VHSを見つけて箱の裏書きを読んだら、役名が「偉大なモフ・ターキン」となってたんです…。Grand Moff Turkin。偉大なモフ・ターキン…あの作品だけ見るとラスボスだから、ありえない解釈じゃない。作中で「グランド・モフ」という肩書きが出てきたわけでもなかったみたいだし。レイア姫にもターキン総督(Governor Turkin)と呼ばれてましたよね、確か。(記憶違いだったらごめんなさい)だから日本の観客は、たぶんほとんどみんな「モフ・ターキン」だと思ってたんですよね。(それとも私の周りだけ?(^ ^;))
…とにかく制服もよく似合って、絵になる悪役っぷりでした。ごちそうさま♪

しかしエピソード順に見ると、たしかに印象が変わりますね。やっと全体のストーリーがつかめましたよ。(笑)
奥の深い会話がなされているのも、今まであんまり印象に残ってませんでした。
母を助けられなかったときの、アナキンの台詞…「次はしくじらない」。ここで彼はジェダイの道からそれるんですね。受け入れないでコントロールしようとする。それができると信じる。これって「アメリカン・ウェイ」が美徳としてきたことじゃないか。それを暗黒面として描いているのは、アメリカのポピュラー映画ではたしかに画期的なのかも。そしてヨーダの台詞…「心を鍛えて、失うことの恐怖を捨てろ」。なるほどなあ。たしかに仏教的な思想なんですね。

でも、アナキンとダース・ベイダーにはやっぱり格差があって、ベイダーが同じ人物の後年の姿とは見えませんでした。ボディ・ランゲージがかなり違うんですよね…ベイダーはかぶりもので表情が出せないためか、オーバーアクションになるので。これはエピソード3で、ベイダーのマスクが装着されたあとの動作でも感じました。ここからいきなり「ダース・ベイダーの身振り」になっていて、もうアナキンとは別物になっている。ここのベイダーが「アナキンの身振り」でいてくれたら、もうちょっとスムーズに印象がつながったと思うんですが。もしくは、ダークサイドに落ちたあとのアナキンが、ちょっとだけベイダーっぽい仕草をするとか。(うーん、でもあれはあれでナイーブなキャラが成立しちゃってるからなあ…後付けの難しさですね)

ただ、頭のなかではつながりを理解しているので、エピソード4(やっぱ「一作目」というほうがピンとくるなあ…)の冒頭、ベイダーとレイア姫が対面するところは、じつはすごいドラマチックなシーンなんだなあ、とは感じました。感情的にでなく、あくまで頭で感じただけですが…。要約すると「ベイダー一家」の話なんですね、スターウォーズって。

ベイダーに比べてびっくりしたのが、オビ・ワンがちゃんと「同じ人物の老後」に見えること!顔の形も声も違うんですが、キャラクターとして同じ人だ、というのが感じられる。特に目つきとか。これはすごい。すごいぞユアン・マクレガー
ボバ・フェットがチラッと姿を見せたところも(たぶん後付けだと思いますが)ぐっときましたですねえ。こーいうのは、続けざまに見るとわかりやすい。彼の父親のジャンゴ・フェットはすごくハンサムだったから、ジャンゴが細胞を提供したクローン軍団は、まるで帝国のハーレムに見えましたですよ。(笑)…ところで、帝国軍の兵士はアーマーのデザインがエピソード3とは違うのですが、あれはもうクローン軍団じゃないということなのかしら?中身が全部ジャンゴの顔だと想像すると、白兵戦シーンも楽しいんですが。(笑)たぶん映画以外のスピンオフ作品のなかで、エピソード3から4の間の話ってやってるんでしょうね。ターキンの出世物語もあるんだろうか。うーん、知りたい…。(笑)

…しかし、考えてみるとこの世界のドロイドは機械にしては長生きですね。精密機械ほど壊れやすくて、基本のOSも数年ごとに交代して、前のが使えなくなる…という今の感覚で見ると、テクノロジーの進歩がゆっくり(というかほとんどない?)なのも、すごく古いマシンを修理して使えるのも、むしろレトロな感じ。コンピューターというより、古い車を整備し直して動かすみたいな感覚なんですね。ジャンクの山から使える部品を探すとか、そういう世界。楽しそうだなあ…。

2011年1月14日金曜日

『The Mummy』(1959)

 (以前ちらりと触れておりますが、DVDを初見したときの感想を掘り起こして載せます)

 ピーター・カッシングクリストファー・リー共演のThe Mummy、邦題は『ミイラの幽霊』ですが、国内盤が出てなくて字幕なしでのレビューなので、原題で書いておきます。
画面に集中したくて英語字幕も消して見たので、わかったのはだいたいのところですが…単純なお話なので助かりました(笑)。

19世紀末、イギリス人の考古学者がエジプトで王女のミイラを発掘。そのミイラを守るために隠し部屋に入れられていた別のミイラが蘇り、発掘者を襲うというものです。ただし、じつはそのミイラは王女を密かに愛していた神官、という悲恋設定が…あれ、「エジプトの高貴な女性と神官の禁断の恋」で「ミイラがよみがえって人を襲う」って…『ハムナプトラ』って似たよーな話じゃなかったっけ…?と思ったのですが、ハムナプトラはテレビで断片的に見ただけなのでよくわからないです。もしかしたら元ネタかも?

カッシングの出演作品ハンドブック(?)として少し前に購入した『Christopher Lee and Peter Cushing and Horror Cinema: A Filmography of Their 22 Collaborations 』をちらりと見てみたら、『The Mummy』自体が、1930年代にボリス・カーロフ主演で作られた映画のリメイクのようです。ハムナプトラとは「元ネタが同じ」なのかも。(違ってたらすみません)

キャストは、ミイラ発掘にかかわる考古学者役にピーター・カッシング。珍しく父親が出てくる役で、少しばかり若作り。ナカナカ素敵です。彼の父、叔父も考古学者らしく、冒頭そろってエジプトにいるのですが、カッシング演じるジョンは発掘時には足を怪我してテントで留守番していたため、現場に居合わせなかったという設定です。

そしてミイラと、回想シーンの神官がクリストファー・リー。ミイラのときは包帯ぐるぐる巻きで、動作と目だけの演技なんですが…目が語りますね。すごくよかったです♪なんか…ハンサムなんですよ、普段より。終盤の顔なんか、ライティングのせいか白塗りのときの市川染五郎似です(笑)。長い手足とプロポーションのよさも際立ってます。ちょっと惚れ直しました。

カッシングのリーとの格闘シーンは二回あって、両方ミイラに首を絞められてました。(笑)足の怪我の後遺症でびっこをひいている役で、いつものカッシングと身のこなしが違うのも見どころ。服装がスリムな体の線を引き立てていて、ヘルシング教授やフランケンシュタインみたいな強さはないキャラ。なにかと色っぽいです♪

お話は淡々と進む感じで、あまりインパクトを感じなかったのですが…たぶん『ハムナプトラ』を見ていなければ、ミイラの隠れた悲恋話に新味を感じたはずだと思います。悲恋設定がなければ、トホホ映画だった『半魚人の逆襲』と似たりよったりの展開…。でもこの設定の違いが決定的なのですけど!それと、エジプト人キャラに「イギリス人が外国の遺跡から持ち出したものを、大英博物館に飾ること」を批難させているのも、映画の胆力(?)を上げてました。
…まあそのへんとは無関係に、カッシングがすごく色っぽいのでお気に入りの一本になりました。えへへ♪(若い頃の姿でこうも萌えるのは、自分にとっては珍しいです(笑))

カッシングの奥さん役が、出番は少ないものの設定的に重要な役なのですが、とてもきれいな女優さんでした。初めて見た方です。柔和にしたエリザベス・テイラーという感じ。セットも、いつもながら雰囲気があってよかったです。(ハマー映画は低予算らしいものが多いのに、いつも美術がすばらしいですね!)ハマーのスタジオだったブレイスタジオにあるマナーハウス(イギリスの古風な邸宅)…ドキュメンタリーなどでさんざん見たのですが…その外観がもろに出てきたのが、なんか嬉しかったです。ほかの映画でも別の形でいろいろ使われています。

特典映像はオリジナル予告編とキャスト一覧のみでしたが、自分にはちょっと貴重な一本になりました。ああ、字幕ともっとマシな特典つきの国内盤出してほしいデス…。